こうした段丘地形は、第四紀更新世(洪積世)中ごろからますます盛んになった六甲変動にともなう地盤の隆起と、もうひとつは更新世が氷河時代ともいわれるように、地球全体が寒冷化し大規模な氷河が発達した時代(3)でもあったために、氷河の消長による海水面の変化が原因となって形成されたものと考えられている。地盤が隆起したり、氷期で海水面が低下したりすると、河川の勾配が大きくなって浸食力が強まり河床が低下するため、浸食されなかった部分との間に崖がつくられる。氷期と氷期の間の温暖な間氷期に海水面が上昇すると、堆積作用が強まり、堆積物におおわれた平坦面が新たに形成されるのである。
大阪平野では、このようにしてつくられた段丘が、形成時期の古い順に高位段丘・中位段丘・低位段丘とよばれる三段の段丘として認められる。段丘面は主として河川によって運ばれた砂礫質の堆積物でおおわれ、大阪層群とは不整合の関係にある。高位段丘層は更新世の中期に堆積したもので、大阪府下では、泉北の信太山などにみられるものが代表的である。中・低位段丘層は、更新世の後期になって堆積した。このうち中位段丘層は、ミンデル・リス間氷期とよばれる温暖期の海水面の上昇にともなって堆積したもので、堆積層中には海成の粘土がはさまっている場合もある。大阪市内の上町台地にその代表的な例がみられる。さらに低位段丘層は、ウルム氷期とよばれる最後の氷期にともなう海水面の低下期に、河川沿いに形成されたものと思われ、府下では高槻市の富田礫層がよく知られている。