第四紀更新世には四回の氷期があったと考えられており、古い順にギュンツ氷期・ミンデル氷期・リス氷期・ウルム氷期とよばれていて、最後のウルム氷期が最盛期をむかえたのは約二万年前のことである。
このような古い時代の植生を知るためには、その時代に堆積した地層中に含まれている植物化石を調べるのであるが、近年、地層中の花粉の化石をしらべる花粉分析という技術が発達し各地でこれによる調査が行なわれている。大阪平野についても、大阪市内(古谷正和「大阪周辺地域におけるウルム氷期以降の森林植生の変遷」『第四紀研究』一八―三)や富田林市に近い羽曳野市古市付近(安田喜憲「大阪府河内平野における過去一万三千年間の植生変遷と古代地理」『第四紀研究』一六―四)などで花粉分析による過去の植生の研究が行なわれているので、これらの成果をもとに富田林市付近の植生の変遷をたどってみたい。
ウルム氷期の最盛期は、現在より気温が約六度も低い寒冷な気候であった。こうした気候条件に対応して、大阪平野の大部分は、現在の亜高山帯針葉樹林に相当するトウヒ・シラベ・コメツガ・チョウセンゴヨウ・ヒメコマツなどからなる森林におおわれていた。またこの時期は大阪平野にも人間の活動が開始されたころであると考えられる(17)。
約一万年前になると氷河時代は終わりをつげ、第四紀完新世(沖積世)に入る。それにつれて気候は温暖化し、植生も、現在金剛山の山頂付近にみられるような、ブナを中心とした深い森林へと徐々に変化していった。約六〇〇〇年前から約三〇〇〇年前になると、気候はより温暖かつ湿潤となり、大阪平野の大部分はシイやカシを中心とする森林におおわれるようになった。この時期はほぼ縄文時代前期から後期にあたり、人間活動も活発になっていったころである(18)。
縄文時代晩期から弥生時代の開始期である約三〇〇〇年~二〇〇〇年前になると、花粉分析の結果はシイ・カシ中心の森林に代わって、アカマツやクロマツを主体とする森林が広がりはじめたことを示している。さらに古墳時代から歴史時代にはいると、植生はこれまでにない速さでその姿を変えていった。その原因は気候などの自然条件に加えて、活発化した人間活動の影響が植生に大きく作用しはじめたことにある。