二次林としてのアカマツ林

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今日私たちが目にするアカマツを主体とする森林とは、もともとどのような性格のものなのであろうか。西南日本の照葉樹林帯に現存する樹林で、最も広い面積を占めているのがアカマツ林である。とくに人里近い台地や低山地などにはいたるところにアカマツをみることができる。本来アカマツは陽樹で、照葉樹林地域では、どこでも生育できるものであるが、土壌が厚く適度な湿度のある平坦地などでは、シイ・タブ林や常緑のカシ林の構成種に負けてしまう。したがってアカマツの自然植生は、尾根筋や湿地周辺など、常緑広葉樹にとって不適なところに生育していたにすぎない。

 ところが人間活動が活発化し、人びとが平地はもとより山地に至るまで自然林である照葉樹林を伐採したり焼きはらったり破壊したため、そのあとに、二次的にアカマツ林がしだいに分布領域を広げていったのである。アカマツは生育が早く用途も広いので、植林もさかんに行なわれた。つまり現在広い範囲にみられるアカマツ林は、人間の自然林破壊の結果といえる(宮脇昭編『日本の植生』)。

 このように観察してくると、植生は人間の生活をとりまく密接な自然条件であるとともに、一方では人間活動の影響をうけて最も変化しやすい環境であることがわかる。ただ縄文時代に人口がまだまだ稀薄で、人びとが狩猟と採集の経済に依存していた段階では、この自然環境は数千年にわたってほとんど人為的に変化をうけることがなかったであろう。しかし弥生時代になって人口も増加し、農耕にともない土地利用を積極的に行なうようになると、すでに述べたように、植生も著しく変化するようになったのである。それでは富田林市の位置する石川谷が人間活動とともにどのような植生の変遷をとげたかという問題を次節で収り上げることにしよう。