石川谷に人間が活動し始めたころの自然

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富田林の市域周辺の石川の谷で人間が活動するようになったのは、錦織遺跡などから判断すると、縄文時代前期、約五〇〇〇年前ごろのことと推定されている。当時の人びとは、どのような自然環境のもとで生活をしていたのであろうか。

 第二節で述べたように今から五〇〇〇年前ごろには、大阪平野の各地と同じように石川沿いの低地、丘陵、山地はいずれもうっそうとした照葉樹林におおわれていた。人びとはこうした条件のなかで、狩猟や食糧採取のために下流から石川をさかのぼって進出してきたものであろう。石川下流の藤井寺市国府にある集落址の調査では、多量の獣骨片が発見されているが、この時代の人びとはカシやシイの生い茂る森林で木の実を採集したり、シカやイノシシなどの動物を捕獲して生活していたと考えられる。

 地形についてみれば、当時の状態は現在とほとんど変わったところはなく、ただ石川が今よりもずっと自由にその流路を変えながら流れていたのである。