さて富田林市の範囲を一口でいえば、東西六・五キロ、南北一〇キロからなる南北に長い菱形の地域であって、大和川の支流である石川と羽曳野丘陵を抱えている地形が特色である。市の東半部は石川谷の中流域を占め、西半部は羽曳野丘陵を含めて一角が狭山谷に面し、ちょうど東西に起伏する屋根瓦を連ねたような地形の一部にあたっている(24)。この地域を北西から鳥瞰(ちょうかん)すると、大阪府の東南部は屏風のように屈折して立てまわされた金剛・生駒山地と和泉山脈とによって東の奈良県、南の和歌山県と隔てられている。かつて南河内郡に属していたこの地は、南北に長く広がる河内平野が、南縁において尽きようとするあたりで、複雑な出入をみせる洪積(こうせき)丘陵と犬牙状に交錯した、起伏に富む地形である。
一方、標高一一二五メートルの金剛山地に源を発した千早川、佐備川などは、和泉山脈から出た石川と合流しつつ金剛・生駒山地と羽曳野丘陵とにはさまれた南北に長い石川谷の地溝帯を北流して河内平野の南縁に達する。そして、ここで奈良盆地の西縁亀ノ瀬から西流する大和川と直角に合流したのち、大阪湾に注いでいる。この地理的条件からみると、石川谷が北方からの人文往来に際して、古くから回廊の役割を果たしてきた重要性を看過することはできない。これに対して羽曳野丘陵は、地質学上、大阪層群の粘土層の厚い堆積からなるため、二、三〇年前まで顕著な集落の発達をみることなく、主としてその両裾の河岸段丘地帯と、水系に沿う沖積低地という南高北低の地域に、古くから集落が形成されてきたのである。