古代の遺跡、とくに石器などの遺物が実際に集められて、具体的な観察の下にスケッチや説明が試みられるようになったのは江戸時代後半の頃からであった。一八世紀に入ると、長崎におけるオランダ貿易を通じてヨーロッパから流入した洋学の一部門に博物学 Natural History があり、日本で薬草の研究から深められた本草学の知識と結びついて、ようやく新しい学問の体系を形作ることになった。『雲根志(うんこんし)』を著した木内石亭(きのうちせきてい)などはその代表的な学者の一人で、琵琶湖畔の自邸に二千余種の奇石・珍石を集め、その中には神代石・雷斧・神槍・天狗爪石・勾玉・車輪石などと称する人工の石器や石製品も加えられていた。雷斧とは今日でいう石斧のことで、神槍・天狗爪石とはそれぞれ石槍・石鏃のことである。