一八七七年、動物学者として来日した米国人エドワード・エス・モース Edwarde S. Morseが東京西郊の大森貝塚でおこなった発掘は、日本における科学的な考古学研究の第一歩であった(25)。彼は東洋における従来の学問研究では欠けていた「親試実験」の方法を考古学の分野に導入した。すなわち貝塚から人類の生活遺物がいかなる状態で出土するかを研究者の立場で観察して、一八七九年には『大森介墟古物篇』“The Shell Mounds of Omori”と題する日英文両冊の発掘報告書を東京大学から刊行した。これはいわば欧米でおこなわれていた考古学研究法の最初の紹介であり、学術的な発掘報告書としてもその後の学界に強い影響を与えた。