お亀石古墳の調査

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やがてこの河内南部が考古学的な遺跡に富む地域として、学界の注目を集めるようになるのはようやく一九一〇年代になってからであった。当時、日本において最も著名な考古学者であった高橋健自氏が「河内に於ける一種の古墳」と題して、中野所在のお亀石古墳を取り上げ、『考古学雑誌』第四巻第四号に論考として掲載したのに始まる。ときに一九一三年一二月のことであった。このきっかけは羽曳野市軽里(かるさと)出身の梅原末治氏が、若い日々を郷里の周辺の河内南部に分布する遺跡探索に費やし、中央学界の学者に紹介の労をとった功績に負うところが多い。