府下の縄文遺跡

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さて、大阪府下に分布する縄文遺跡は、現在約三〇カ所ほど知られている。この遺跡数は、縄文時代が数千年間も続いたというのに対してはるかに少ない数で、府下に分布するつぎの弥生遺跡の数と比べてみても、非常に少ない。とくに東日本の関東や東北地方の中には、遺跡分布のきわめて濃密な地域が多いのに、西日本では縄文遺跡数の少ない特色を、大阪府が最もよく表している。これは勿論、縄文時代の集落の数が、草創期・早期・前期・中期・後期・晩期という六段階を通じて、とりわけ中期から後期にかけて、西日本と東日本との間で圧倒的な差があったためであり、ひいては当時における両地域の人口密度の疎密を表している点て注目すべきものがある。

 近畿地方のほぼ中央を占める大阪府は、東部瀬戸内に続く大阪湾の沿岸地帯に位置しているという地理的条件にもかかわらず、縄文時代の集落遺跡が海岸付近に分布する傾向はあまり指摘できず、東部の丘陵や山地のある京都府や奈良県との境にも広がっている。たとえば、早期に属する古い押型文土器を出土した枚方市穂谷や交野市神宮寺の遺跡は、京都府に隣接した河内北部の丘陵上に位置している(42)。あるいは大阪府の北端にあたっている内陸部の豊能郡能勢町では、五カ所の縄文遺跡が見出されているなど、縄文時代の集落立地は、現代のように沖積低地に都市が発達するのとは異なり、丘陵地帯の谷川に面した台地上が、生活条件に適した場所として選ばれる傾向があった。その理由は当時の生業と大いに関係があるが、この問題はあとで説明することにしよう。富田林市内の縄文遺跡も、丘陵地帯に囲まれた谷川に沿う台地上に位置している場合が多く、この共通した条件は集落立地を考える上で重要である。

42 大阪府下で最も古い縄文早期の回転押型文土器 (枚方市穂谷遺跡出土)