さて、この国府遺跡の縄文前期の文化は、錦織遺跡と共通する内容をもっている。国府遺跡からは、縄文土器、石匙、石鏃、玦状耳飾(けつじょうみみかざり)などの遺物を出土した。土器の型式は、北白川下層Ⅰ式、同Ⅱ式、同Ⅲ式に属するものが発見されている(44)。「北白川」という地名は、京都市左京区北白川小倉町にある縄文遺跡からきたもので、一九三四年の発掘によって、前期から後期にわたる各種の縄文土器を出土したことにもとづき、土器型式命名の基準遺跡となった。下層式は、その中でも古い方の前期の土器を指し、さらに編年上からⅠ・Ⅱ・Ⅲの順序に区分し、最近ではⅠをa・bの二つに、Ⅱをa・b・cの三つに細分することすら試みられている。後節で述べた錦織遺跡の土器は、この分類にしたがったものである。
話が大分難しくなってきたが、縄文の施文技法から説明すれば、Ⅰ式とは土器の内外両面を二枚貝の腹縁で条痕仕上げとし、その上に爪形文や刺突文を施したもの(44の1~4)、Ⅱ式とは平底の深鉢形をした土器の上部に爪形文、下部に羽状縄文や斜行縄文をもつもの(44の5~13)、Ⅲ式とは羽状縄文や斜行縄文を施すほかに、表面に粘土の紐を貼り付けて突帯として装飾したものである(44の14)。