縄文集落の行動圏

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国府と錦織の両遺跡を比較してみると、興味ある自然環境の相違があったことに気づく。いま試みに、それぞれの遺跡を中心として半径五キロの円圏を設定してみるとこの二つの円は交差しないので、この行動半径の範囲では相互に干渉しあうことはない。いわばそれぞれの地域内の資源は利害が衝突することなく利用できるのである。ところが、国府遺跡の場合には、東方に信貴山南部から二上山西麓にいたる山地や丘陵も一部含まれているが、大半は段丘堆積と沖積地で、北方には前述のように広い沼沢地を控え、平地を環境とする条件を備えていたといえる。面積の比率の上からいえば、国府遺跡の周辺では丘陵は三六%に対して、沼沢地を含む平地は六四%を占めているのである。これに対して錦織遺跡の場合には、図示したように東南方と西北方に山地と丘陵をもち、段丘も石川に沿った狭い地帯として起伏に富み、山地を環境とする傾向にある(45)。ここでは丘陵面積は五三%を占めるのに対して、河川に沿う低湿地はわずか六%にすぎない。

45 錦織遺跡を中心とした生活環境、10キロの円圏内の河川、河岸段丘と丘陵分布