地質学者、成瀬洋氏によると一三〇〇万年前頃に、日本列島の中央部を東西方向にかけて火山活動が始まり、まず、ガラス質の溶岩を噴出したのち、サヌカイトと呼ぶ、黒い特殊な安山岩を最後に流出したという。当時、この地域には東西に並ぶ湖沼列があり、火山活動で噴出した溶岩や凝灰岩は、湖沼堆積物とともに残ることになった。
今、二上山の西北麓には、屯鶴峯という火山の噴出物が湖沼に堆積してできた真白な露頭の続く地帯があるが、それをはさんで、山麓一帯にサヌカイトを含む地層が、大阪府の太子町、羽曳野市東部から奈良県の一部にかけて分布している(48)。たとえば、近鉄南大阪線の「上ノ太子」駅の東北方にあたる新池付近の丘陵を歩くと、赤褐色の火山灰に似た地層の中に、大きなものは人頭大から、小さなものはこぶし大に満たぬものまで塊状をしたサヌカイトが多数含まれている。奈良県の関屋方面では、このサヌカイト塊を人工的に割砕したのではないかと考えられるような破片の堆積が、丘陵上に認められるのである。サヌカイトの利用は、前述した国府の先土器時代の石器のように、縄文以前から始まっていて、この二上山麓付近でも旧石器に酷似した石塊が採集されて、先土器遺跡の存在する可能性を思わせる。ただし、ここでは国府の場合と異なって、層位的な包含状況の裏づけが充分に得られたとは言えないので、技法的な古さを地層の層準に位置づけて編年的に決定する上で問題を残している。