このサヌカイトの産出地は四国の場合、香川県の屋島と、その周辺の台地上にあり、サヌカイトも讃岐岩から生じた名称で、二上山だけに限らないが、大阪府・奈良県境の二上山は近畿地方中心部の最大の産地として、早くから縄文人の採取地に選ばれていたことには間違いない。彼らは、原石をこの山麓で採集して、集落へと持ち帰ったのである(49)。とすると、二上山麓に最も近い国府や錦織の集落が、地理的に最も有利な位置を占めることになる。かつて、国府遺跡の中でサヌカイトの大塊が掘り出されて、石垣の一部に使用されているのを見たことがある。豊富な供給源を至近距離にもつ、これらの集落の人びとが、サヌカイトの原石や加工品を交易品として利用し、さらに、遠隔地にまでもたらすことがなかったかどうか興味ある課題である。
このサヌカイトに対して、石器の材料になったもう一つの原石として黒曜石がある。日本列島では北海道の十勝地方、本州の長野県和田峠と神奈川県の箱根地方、九州の国東半島東方の瀬戸内海に浮かぶ姫島や伊万里腰岳などが主産地で、これらの地域を中心として黒曜石製の石器が広く分布することもよく知られている。ここでは海上の原石産地としての姫島を、二上山との比較で紹介しておくことにしよう。
姫島は瀬戸内西部、周防灘の中にあり、東西の長さ五・五キロ、南北の幅二・五キロという小島で、海中から噴出したいくつかの火山島の連接したものである。黒曜石は島の西北端にあたって丘頂の一角が突出した鳥嘴状の岬にあり、丘頂から海面まで五〇メートル余の大きな露頭をなしている(50)。現在では南側の港から山越しに岬の突端まで降りて行く道があるが、黒曜石を石器の石材として利用していた当時は、海上からこの岬角に接近して波打際付近で原石を採取したに違いない。この島から産出する黒曜石は、十勝や和田峠産のもののように漆黒色ではなく、黒灰色から灰色を呈するものが多く、一見して産地を見分けることのできる特色をなしている。九州地方では姫島と西部の腰岳から産出する黒曜石が利用されたらしく、東部九州の海岸遺跡では姫島からもたらされた原石で作られた石器が発見されている。いわば二上山のサヌカイトと同様に石材産地からの供給圏が、日本列島の各地に存在したわけである。