錦織遺跡は約五〇〇〇年前

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いずれにしても、錦織遺跡の年代と対比すべき縄文前期の年代は、千葉県加茂泥炭遺跡の諸磯A式という前期の土器とともに出土した木片を検体とした五一〇〇年±四〇〇年が参考となる。すなわち紀元前三〇〇〇年前後の年代がカーボン・デイティングから与えられることになるのである。

 縄文土器文化として総称されている日本最初の土器は、現在の資料によると表示したように長崎県福井洞穴第三層の隆起線文土器に始まる。その年代は一万二七〇〇年前といい、おそらく世界の土器文化の起源からみても最古のグループに属するものであろう。ここからまた別の新たな問題が生じてくるわけであるが、今後の世界各地における土器の起源に関する研究の発展に期待してあまり触れないでおくことにしよう。

 縄文文化の終末は、青森県八幡崎泥炭遺跡から大洞B式の土器とともに出土したクルミを検体として、二八二〇年±一三〇年のデータが得られている。これはつぎの弥生文化の起源と対照して比較的信頼度の高い数字と考えられる。こうした点から考えると縄文文化は日本列島で約一万年近く続いたと仮定することもできる。その中で前期の年代はほぼ中頃に位置しているわけである(51)。

51 放射性炭素による考古遺跡の年代測定(理科年表1981年版による)
先土器 (ナイフ形石器) 長野県杉久保遺跡 木片 17700±500
(ナイフ形石器) 北海道白滝Loc.31 木片 15800±400
(細石刃) 長崎県福井洞穴7層 木炭 13600±600
縄文早期 (隆起線文) 長崎県福井洞穴3層 木炭 12700±500
(隆起線文) 愛媛県上黒岩9層 木炭 12165±600
(夏島) 横須賀市夏島貝塚 木炭 9240±500
(捺型文) 根室市トウサムポロ30号竪穴 木炭 3900±120
縄文前期 (諸磯A) 千葉県加茂泥炭遺跡 木炭 5100±400
縄文中期 (加曽利E1) 千葉市加曽利貝塚 木炭 4790±80
(中期縄文) 北海道常呂郡常呂貝塚 貝殻 4150±400
縄文後期 (堀ノ内1) 千葉県市川市堀ノ内貝塚 木炭 3780±150
(安行2) 埼玉県川口市石神貝塚 木炭 3000±120
縄文晩期 (大洞B) 青森県八幡崎泥炭遺跡 クルミ 2820±130
続縄文 (後北) 北海道余市郡フゴッペ洞穴下層 炭化クルミ 1950±120
弥生前期 (遠賀川) 名古屋市西志賀貝塚 木炭 2520±140
弥生後期 (登呂) 静岡市登呂 木片 1720±90
2590±100

B.P.(Before A.P.1950)

 次節の市内の縄文遺跡各説では、土器の施文について専門用語が用いられているので、理解を助けるために若干の説明を試みておく。