富田林市錦織の通称細井字岡ノ内にあり、石川の左岸河岸段丘上の標高七五メートル程度に立地する遺跡で、近畿日本鉄道長野線滝谷不動駅の北北東約二〇〇メートルにあたる(53)。この遺跡から縄文時代前期北白川下層式を中心とする遺物が出土することは一九五〇年から知られていた(北野耕平「錦織縄文遺跡について」『古代学研究』五、一九五一年)。また、一九六七年夏の排水溝設置工事(54)の際に、富田林高校の生徒によって採集された土器(55)は、平安博物館で復原され、詳報がなされている(渡辺誠「大阪府富田林市錦織出土の縄文土器」『古代文化』二三―三、一九七一年)。しかし、現在まで組織的な発掘調査は実施されていないまま、宅地造成等のために遺跡の環境は著しく変貌しつつあり、湮滅する危険すらはらんでいる現状である。
このような状況のため、今後この遺跡の性格を明確にするための調査を得る機会があるかも知れないが、現在までにこの遺跡から出土した資料の遺漏を最小限度に抑えておく必要があるかと考え、未公表の資料を紹介することにしたい。借用した資料には四七片の縄文土器があり、総重量は三七七・六グラムを測り、暗黄褐色から暗茶褐色の色調を呈する。内訳は、縄文を施文したもの三二片・爪形文八片・その他七片で、細片が多い。この内、特徴が明確なものと、比較的大きな破片を選び、一五点(一八一・二グラム)を図示して紹介する(56~58)。