これらの資料の内、2・3・11の例は、磨消縄文手法と同様の視的効果をあげ、前駆的な様相を示す。また、15の例にみる底部隅の凹みは、大歳山式の特徴である五角形の前駆形態を示すと考えられる。すなわち錦織遺跡の土器からみると、国府遺跡の前期の始まった段階からやや遅れて、Ⅱ式以降の各様式が認められるのは注目すべきことである。とくに土器片の胎土を肉眼的に見ると、錦織遺跡の出土品の中には、国府遺跡と粘土組成、色調、黒雲母末の含有などの点で酷似するものがあって、もとは同じ場所で焼成された土器の流通を思わせるものがある。土器の粘土成分については、最近蛍光X線回折による分析がきわめて進んでいるので、将来、自然科学的な検討で裏づけることに期待したい。両遺跡の近接性からみて、国府の縄文集落から錦織の集落に土器の供給が行なわれた可能性は充分考えられることで、国府から錦織への奥地進出があったと想像することもごく自然であろう。同時期に共存した集落相互の交流が、同質の文化圏を形成する条件だからである。
錦織遺跡は、南河内・石川流域の稀少な遺跡でもあり、これ以上の環境破壊を避けたい遺跡である。(小池史哲)