〔付記〕錦織遺跡から表面採集した石器はすべてサヌカイト製で、石鏃一五点、石槍一点、石錐二点、石斧一点、不定形刃器一点などからなり、量的には比較的少ない(59・60)。石鏃の型式は凹基無茎式一一個、円基式一個、凸基無茎式一個、平基式二個に分類され、凹基無茎式が圧倒的に多く、この中には縄文期特有の三枝形を呈するものも含まれている。いずれも長さ二センチ内外の小型鏃である。石槍は長さ五・八センチ、幅二・一センチ、厚さ〇・九センチの葉形をした粗い打製品で、他の石鏃と比べて一見似た形状ながらとくに大きくて重く鋭利である。これと似た石槍は同じ縄文前期に属する岐阜県村山遺跡の出土品にあって、長さ九センチ、幅二・七センチ、厚さ〇・九センチのスレート製に属する。石斧は富田林高校生によって国道一七〇号線西方の耕地から一九六七年に採集されたもので、長さ八・三センチ、幅五・八センチ、厚さ一・九センチの刃部が広がった撥形をした打製品である(61)。原石を剥離した際の厚い剥片を加工したものと思しく、両面加工を行なっているものの、片面の中央には原礫面を残している。なお刃部は刃縁からの加撃によって粗雑な整形をしている。材石がサヌカイト製であることが珍しく、ふつうこの時期の石斧は京都市北白川小倉町遺跡例におけるように千枚岩・砂岩・閃緑岩を材石とする磨製品が多く、打製品の場合でも砂岩を用いているのに比べて特異な例といえよう。この国道一七〇号線をはさむ地域ではまだ弥生時代の遺物を発見していないので、サヌカイト製のこの打製石斧は縄文前期に属する遺物と解することができると考える。