石鏃と縄文土器

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教育委員会の分布調査で採集した遺物は石鏃一五点、サヌカイト片多数、縄文土器片九点、土師器片約三〇点、須恵器片七点である。関西大学の調査では石器として、石鏃九点の他、石槍、石錐が各一点と不定形石器二点がある。石鏃の型式は両者をあわせて分類すると凹基無茎式一七、平基式五、円基式一、凸基有茎式一となる。凹基無茎式の中には、縄文期特有の、頭部が駒形をなし、両脚の逆刺が左右に突出した形状のものが含まれていることを指摘しておこう。最も大きなものは長さ三センチ、最も小さなものは一・三センチで、小型品が多く、丁寧に整形されている(63)。サヌカイト片は石鏃に随伴して多数発見され、小さい石核様のものを含んでいる。

63 伏見堂遺跡出土の石鏃

 縄文式土器片と推定しうるものは九片あるが、いずれも二、三センチ角の細片で、表面が著しく磨滅してしまっているため、時期、様式などを判定するに足る文様を認めることができない。黒褐色から茶褐色を呈し、黒雲母をはじめ細砂を多く含んでいる。今後良好な資料の発見によって時期が確定されることを期待したい。この伏見堂遺跡は錦織遺跡から石川を一・五キロ南方へさかのぼった地点に位置している。(竹谷俊夫)

64 南方からみた石川谷と石川(中央)、中央のU字形に蛇行する地点が伏見堂遺跡(矢印)