遺跡の存在が知られたのは一九七三年の市教育委員会による分布調査の結果であって、遺物は表面採集によって得られたものに限り、発掘などはまだ一切行なっていない。採集した遺物はサヌカイト製の石鏃六本、石錐一本、サヌカイト破片一五五片、土師器片二八三片、須恵器片三三片、瓦器片三片である。石鏃をともなう時期の土器はまだ発見していないので決定的なことはいえないが、石鏃の大部分が凹基無茎式の両脚の開いた三角形をしているので、縄文期に属することはほぼ確実であろう(68)。最も大きなものは長さ二センチ、幅一・九センチ、厚さ〇・四センチあり、最も小さなもので長さ一・四センチ、幅一・五センチ、厚さ〇・三センチある。製作技法はどちらかといえば粗い。なお同時に採集したサヌカイト片はいずれも細片で、他の遺跡の場合にみるような大きな破片はない。