各種遺物の種類と特色

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池の内部にサヌカイト製の石器が散布していることは、一九六〇年代に知られ、地元の西野良政氏によって熱心に表面採集が続けられた結果、石鏃約四〇個、石匙一個、皮剥、その他の不定形石器数個をえた(70・71)。さらに、縄文土器の破片かとみられる土器の細片も採集されているが、黒褐色を呈する粗質の胎土を有するほか、縄文の施文は、はっきりしない。しかし、石鏃、石匙の存在によって、ほぼ確実に縄文時代に属する遺跡と判断しうる。

 写真に掲示した石鏃は八〇%が凹基式に属し、平基式および凸基式をあわせても二〇%にすぎない。なお左上端の凹基式の小型石鏃一個が、石英を材石としているのは注目にあたいし、その他の石器はすべてサヌカイトを用いている。石匙は底辺の長い二等辺三角形で細長いつまみを有している。不定形石器の中には皮剥として用いられたものも含まれているとみられ、扁円形・杏仁形・方形・長方形の各種形状がある。これらの中には剥片として石核から剥離されたままで、未調整の石器と認め難い資料もあるが、縁辺部に細かな調整剥離を加えたものが多い。なお、史料(考古二―(2))に掲出した二個の石鏃は、府立河南高校の保管品であるが、このうち一個は、長さ三・五センチ、幅二・六センチ、厚さ〇・四センチという典型的な薄手の雁股鏃で、これは遺跡が縄文前期に属する可能性の強いことを示している。重さは一・七グラムある。他の一個も長さ二・六センチの凹基式無茎品で、重さ一・二グラムある。

70 寺ケ池遺跡出土の石鏃
71 寺ケ池遺跡出土の石匙・不定形石器

 遺物は、池底に堆積した白砂上に散布していて、とくに文化層に包含された状態で見出された例はないという。しかし、この池の上に立てば北西に大阪平野を一望しうる高燥地を占めていることからも、付近に集落が営まれるにふさわしい立地といえよう(72)。上述した他の三遺跡が石川谷およびその支谷に分布しているのに対し、この寺ケ池遺跡は西除川によって開析された狭山谷に属する点で注目すべきものがある。

72 南方からみた寺ケ池と寺ケ池遺跡