弥生時代の人びと

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約一万年近くも続いた長い縄文文化のあとをうけて、日本列島には新たに弥生文化が登場した。一八八四年に当時の東京市本郷弥生町で一個の土器が出土してから、縄文文化との異質性を強調するあまり、大陸から渡来してきた民族による新文化であるという解釈が、明治期を通じて主流をなした。やがて形質人類学による骨格の研究をもとに、発掘された人骨の計測値から両文化人の間に顕著な相違を持たないことが指摘されて、両者には混血、融合の関係を認めようとする傾向が強くなった。文化要素に関しては、縄文時代末期の急激な大陸文化との接触、交流によって、在来の伝統文化を強く刺激して、多様な内容をもつ弥生文化を形成したという文化変容論が主張されるようになった。近年北九州の菜畑遺跡の発掘調査によって、両文化が緊密な接触関係にあったことを証明したのもその一例である。