銅鐸の用途については古来数多くの考察が重ねられてきたが、本来の形状からは鐸身を鈕で支えて、内部に垂下した舌の振動や外からの打撃で音を発する楽器であったという推測は妥当であろう。銅製の舌や、内部に釣手を装置した銅鐸が出土していることも、実際の機能を証明する資料となる。しかしこれらが日常の歓楽を高めるための打楽器というよりも、神聖な祭器として厳かな祭事の時に打ち鳴らされて威容があたりを圧する効果が重視された点に、弥生社会を考え、ひいては古代社会の発展を明らかにしていく上で重要な意味をもつ。銅鐸は当時の墳墓の中から発見されず、石川谷の若干例を取り上げてみても、集落から離れた山間に秘かに埋置された状態で、銅鐸だけが単独に出土している。この点からすると、銅鐸は長年月にわたってムラで共同管理されてきた一種の神聖な祭器で、集団の共同作業、たとえば秋の収穫が無事に終わり、豊作を喜び合うときに、人びとは集まってこの銅鐸を鳴らし、森羅万象の霊界が降臨する場において意を通じて、ムラの安寧を祈念し未来の託宣を受けたと考えられるのである。まさにこれは弥生時代における原始社会の神事であったといえる。