このように濃密に分布する河内平野の集落遺跡が形成され始めた時期は、個々の遺跡についてまだ充分調査されたとはいい難いが、鬼塚遺跡、瓜破遺跡、瓜生堂遺跡、山賀遺跡、亀井遺跡は、弥生前期から大規模な集落遺跡であったことが指摘されている。たとえば鬼塚遺跡は畿内第Ⅰ様式の(古)段階の土器からなる単純遺跡といい、瓜破遺跡は現大和川の河床に位置し、明確な住居址はまだ調査されていないものの、溝状遺構とピットが存在していて、前期の壺、無頸壺、鉢、高杯、甕など各種器形の土器を出土し、佐原真氏によると畿内第Ⅰ様式の(中)段階に始まるものという。ただし上述した亀井遺跡は旧大和川の氾濫で流されたのち二次堆積で形成された遺跡で、前期と中期が同一包含層から出土する。
このように河内平野の弥生遺跡は、集落開始の時期やその継続期間に差があるものの、弥生前期に始まる集落例をいくつか含んでいて、後述する石川谷の場合のように中期以降に始まるものとの間に、大きな相違があるといわねばならない。すなわち富田林市を含めて石川谷に分布する弥生遺跡は、河内平野の最も古い集落遺跡と比べて、約二〇〇年も遅れて集落が営まれたことを指摘しうるからである。