弥生時代の自然環境

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東大阪市の瓜生堂遺跡で包含層に遺存した花粉分析を行なった安田喜憲氏によると、弥生時代に入って河内平野に集落を営み、人びとの定住生活が始まったころは、丘陵や高地にアカガシ属やシイ属を中心とした常緑広葉樹林がうっそうと茂り、草地にはヨモギ・キク・アカザ・セリなどの草と、ウラボシ科・ヒカゲノカズラ科などの羊歯類が生育していた。ところが、弥生中期になると、人びとは耕地の開発と用材の利用のため森林を伐採して、これらの植生を破壊させた形跡が目立ち始めるという。すなわち弥生中期になって、弥生人たちは初めて自然環境を人為的に改変し、自らの生活空間を形成しようとしたといえるのである。

 市内の弥生中期を代表する遺跡として喜志、中野両遺跡を見た場合にも、集落は洪積期の砂礫を基層とする堅硬な河岸段丘上にあって、石川谷以北の河内平野中央部に分布する低湿地上の集落とは異なった立地条件にある。中野遺跡は小範囲の試掘によって溝状遺構を発見したにとどまり、住居址の状況は今後の調査に多くを期待したい。喜志遺跡では遺跡各説の項で扱ったように、円形平面と考えられる浅い竪穴住居址の存在を調査で確かめることができた。