ここで参考として隣接の羽曳野市東阪田で、一九七六年から七七年春にわたり大阪府教育委員会の調査として、渡辺昌宏氏が担当して行なった発掘成果の一部を紹介しておくことにしよう。場所は富田林市域から約一〇〇メートル北方に隔たった河岸段丘の東縁に位置し、約八〇〇平方メートルにおよぶ調査範囲の中に三戸の円形平面の住居址と、一戸の方形平面の住居址のほか、集落をめぐるとみられる溝状遺構などが存在した(87)。詳細については本報告の刊行に待ちたいが、氏によると円形住居址は畿内第Ⅲ様式の段階のもので、方形住居址はこれよりも時期の下る可能性があるという。これらの住居址中には何回か建て替えられたと推定できるものもあり、中央に炉址を有するもの、小凹孔を有するものなどがあった。この住居址群にともなう土器はすべて中期以降に属し、畿内第Ⅱ様式のものが若干あるほか、第Ⅲ様式を主とし、第Ⅳ様式がこれにつぐという。なお上層に土師器片を包含していた点は、富田林市域内の喜志および中野遺跡の場合の所見と一致し、集落の長年月にわたる存続を考える上で興味が深い。またサヌカイト製の各種石器が、加工片をともなって大量に出土したことも後述する考察を裏づける事実であろう。