わが国でも、一九七五年に、奈良国立文化財研究所の埋蔵文化財センターで、石器製作技法の復原が試みられたことがある。この実験の材料として用いられたのは二上山産のサヌカイトで、加工に際して黒曜石や頁岩などの石材よりも石理がはっきりしていて、原石から剥片を割截していくにあたって、この石理の方向を正確に判断する必要が痛感されたという。つまり石理の方向に沿って打撃を加えると、期待したとおりの剥片をとることができるわけである。
実験の目的は、先土器時代に、近畿中央部から瀬戸内東部にかけて認められる瀬戸内技法の名をもつ加工法を解明する点にあった。加工は二段階に分けて、第一段階では石製ハンマーを用いて交互剥離の作業を試みたが、目的にかなう剥片を、効率よくいくつも割りとるのは困難だったと報告されている。第二段階では、この剥片からさらに翼状剥片という石器の原形を作り出す作業で、鹿角製パンチを石材にあてがい、鹿角製ハンマーで打撃を加える方法を復原して行なった。
こうした技法はもともと人類最初の道具生産手段として発達した成果に他ならず、日本列島では縄文時代を経て弥生時代後期に至るまで長期の技術的伝統をもち、喜志集落の弥生人はいわばその終末に近い段階に位置していたわけである。この意味からすると弥生社会での石器製作技術は広い生産的基層の一要素であったわけで、喜志遺跡のみを特別な石器の集中的生産工房として位置づけることの誤りが判明するであろう。