出土した土器は弥生後期に属し、すべて唐古第Ⅴ様式として大別、分類しうるものからなり、その古・中・新のいずれをも含んでいるが、いまこの後期の編年がまだ確定していない段階では、具体的な型式名を挙げることはさけたい。淡黄色ないし赤褐色で、砂を多く含み、大部分が無文の土器という点は、石川谷の後期の土器に共通し、中期の入念に作られた土器に比べると、施文の上からも、大きさの上からも著しく見劣りのする感を与える粗製の土器である。
甕は小型で、底部は浅い凹底をなし、半数近くが叩目文を有していて、輪積み手法で内面が充分に整形されていない。壺は球形の胴部に直立する頸部をつけたもので、口縁が強く外反している。口縁の肥厚した端部外面に波状文、二、三条の浅い沈線文、竹管を上面に捺した円形浮文をつける程度の簡単な装飾である。高杯は杯部が底から稜をなして外反して大きく広がるもので、脚部は長・短二種あり、長脚のものの中には下方に小円孔を穿ったものがある。器台は円窓を穿ったり、円形浮文を付けた例がある。その他に底部に円孔を穿った甑(こしき)や鉢・蓋形土器などもあり、A地区溝内からは珍しい遺物として完形の手焙(てあぶり)形土器も出土しているが、個々について詳細な報告が公表されていないので、深くは触れない。
鉄器としてはB地区の七号住居址から鉇(やりがんな)と称する槍の穂先状をして両側に刃をつけた切削用の工具と、C地区の六号住居址から刀子(とうす)かとみられる工具とが出土しているのみで、全体的にみて貧弱である。石器はかなり多くの品目にわたり、石鏃二四個のほか、石槍、石錐、石匙、砥石、石皿、敲石および石包丁からなる。面白いのは装身具として用いられたらしい淡青色のガラス小玉が二カ所の住居址から出土している点である。