特異な焼土壙遺跡

152 ~ 154

焼土壙は発掘地域の西端中央にあって、二・〇×一・九メートル、深さは現状で二〇センチの正方形に近い平面形を有していた。注目すべきことは、この土壙の四壁と床面は強い火熱をかなりの期間受けた形跡があり、床面上に灰と炭化物を多量に含む暗灰色泥土層が残っていて、炭化材も認められたという事実である。この調査に当たった大阪府技師尾上氏は、この遺構の性格を種々検討して「土器焼成の遺構と考えたい」と結論している。調査当時内部には礫石や土器片も遺存していたが、のちに投棄されたもののほかに、焼成中に底面に残った土器片も含まれている可能性を指摘している。氏が本遺跡出土土器には「生駒西麓地域の特徴的な胎土の土器が出土総量の一~二割を占めるが、焼土壙出土品の中には全く見られない」としていることも、遺構がこの集落において整形加工を行なった弥生式土器を焼成する窯址であった蓋然性を高めるものであろう(121)。

121 土器焼成窯かとみられる焼土壙 (府教委概報による)

 筆者もまた調査中に尾上氏の教示により遺構を一見する機会をえたが、現在の段階でこの焼土壙の用途と機能を多角的に検討して、最も可能性をもつものの中に「土器焼成窯」があることを認めたい。ただ土壙の平面形が円形でなく方形であることに多少の問題を残して、将来類似した遺構の発見で当否がさらに検討されることを期待する。伝聞するところでは福岡県平原で同様に土器焼成窯の可能性をもつ遺構が検出されているが、この平面は円形であったという。いずれにしても、弥生式土器は摂氏七~八〇〇度という、比較的低火度で空気の供給のよい酸化焔によって焼成されたものであるから、この程度の焼成窯で充分目的を達したと考えられる。

 井戸遺構は深さ一メートルに満たないもので、二カ所から検出された。五条の溝遺構が東西あるいは南北に不規則に走っていたが、溝4をはじめ溝内から五二・一キロのサヌカイト片が出土した。これらを併せてこの地域の発掘でえられたサヌカイト原石・剥片・石核の総重量は三〇七・五キロの莫大な量に達したと報告されているので、喜志遺跡が有していた生産集落の特質を究明する上で重要な資料といえよう。

 出土土器はほとんどすべてが第Ⅲ様式で少量の第Ⅴ様式を含んでいる。器形は壺・細頸壺・水差形土器・無頸壺・鉢・台付鉢・高杯・蓋・甕・小型土器・支脚状土器など多様である。つぎに石器は石鏃二〇〇余、石槍一一七(大部分が未製品、平均長は一六センチ~一七センチ)、小型尖頭器九三、石錐九三、石斧三、石小刀三、刃器類六五三、石皿、砥石一二、石包丁四四などがあり、ほかに石鏃状半磨製石器、サヌカイト管玉、石製および土製の紡錘車があった。