石器は、石鏃一五、石槍三、石包丁一、不定形石器四の計二二点を出土し、そのほかに多量のサヌカイト片を採取した。
石鏃は、すべて凸基式で、無茎式八、有茎式四に分類され、弥生中期に属すると見られるものが大半を占めている。石槍は、長さ二二センチ以上を測る大型石槍一、一〇センチ以下の小型石槍二に分類され、作りにおいても、大型のものは重複剥離調整により非常にていねいに仕上げているのに対し、小型のものはごくわずかな加工剥離による粗い作りのものである。不定形石器は、使用に必要な部分に最少限の加工を施し、他の部分に対する加工は、ほとんど見られないことが指摘され、皮剥等の日常的な用途をもつ石器であろう。
さて、以上の石器群を総括的に見た場合に、B2トレンチ第四層以上出土のもの、すなわち伴出土器により、畿内第Ⅲ様式の時期に確定できる石器については、石鏃一〇、石槍二、不定形石器二があり、石槍と石鏃の出土比率は、従来のデータによると一対一〇と考えられてきたのに対し一対五と石槍の占める率が比較的高いことを指摘したい。また作りは、石鏃、石槍とも密度の高い剥離により、非常にていねいな加工のものが多く、かつ、加工剥離のパターンにおいても共通したものが少なからず認められて、同一製作者の手によるものである可能性が強い。なおこの試掘調査の際の遺構と出土遺物については、未報告であるがとりあえず写真資料を紹介しておいた(考古四~六)。
つぎに一九七一年の暗渠埋設工事に際して出土あるいは採集した各種遺物について、実測図とともに簡単な解説を加えておくことにする。この地点の資料は発掘調査で出土したものが少ないため、遺物を主とした観察にとどめる。
V字溝からは弥生式土器と石器が出土している。弥生式土器は第Ⅲ様式が最も多く認められるが、第Ⅱ様式も若干混在している。