一九七八年の調査

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一九七八年に中村浩氏は大谷女子大学の調査として、さきに市教育委員会の試掘で存在を確かめたこの溝状遺跡を、さらに西方へ約一〇メートル発掘し、中野遺跡の性格を究明する上で一歩を進めた。この際、第Ⅲ様式に属する壺、甕、水差形など各種土器とともに、石鏃、石槍、石包丁の石器が出土し、集落に接した生活遺構の内容を裏づけた。とくに溝内の堆積中に大量のサヌカイト原石と剥片が未完成の石器とともに遺存していたので、石器製作工房と称すべきものが近傍に存在していたことを思わせた。調査成果は改めて発表されるはずである。