一九八〇年になって、さきに大谷女子大学が調査した遺跡西南隅の北に隣接する地域を、大阪府教育委員会が引き続き発掘調査した。府技師の尾上実氏が担当したもので、まだ概報などは公表されていないが、伝聞するところによると弥生式土器をともなう若干の遺物のほかに、縄文時代後期の土器片も検出されたという。一日も早く詳報に接することを期待したい。土器片は深鉢の口縁部にあたり、波状口縁をなし、巻貝の圧痕と沈線文が認められるということである。今後の調査によって同時期の関係資料が増加するかどうかわからないが、中野遺跡が従来考えられてきたように、弥生時代中期に始まり歴史時代に続く集落遺跡という概念を改めることになるか、大きな興味を抱かせる。