錦織の大谷女子大学から北方の廿山にかけての小字を細井といい、詳しくは、深谷(しだに)と原田にわたる段丘堆積地一帯の地域である。羽曳野丘陵の東縁に沿っていて、前記の錦織遺跡からは比高差二〇メートルほどの高い台地で、東方は崖となっている。この台地の南端には細井廃寺と称する白鳳時代の寺院址もあり、北西の丘陵突端には前期の廿山古墳がある。現在、台地の中央を府道千早森屋狭山線が通り、外環状線とここで交叉している(142)。
3 原田・細井遺跡
錦織の大谷女子大学から北方の廿山にかけての小字を細井といい、詳しくは、深谷(しだに)と原田にわたる段丘堆積地一帯の地域である。羽曳野丘陵の東縁に沿っていて、前記の錦織遺跡からは比高差二〇メートルほどの高い台地で、東方は崖となっている。この台地の南端には細井廃寺と称する白鳳時代の寺院址もあり、北西の丘陵突端には前期の廿山古墳がある。現在、台地の中央を府道千早森屋狭山線が通り、外環状線とここで交叉している(142)。