台地の西方にある細井新池で石鏃が採集されて以来、遺跡の存否に注目してきたが、一九七一年春の市教委による分布調査で、台地一帯にサヌカイト片が散布していることが明らかとなった。それとともに石匙・石槍・石鏃・石錐などのサヌカイト製石器を採集し、遺跡の存在を確認したのである。この付近は住宅が次第に建設されてきているが、分布調査の当時は大部分が耕作地で、遺物の分布を観察するには好都合であった。
これによると、遺物の散布範囲は前記の府道千早森屋狭山線に沿っていて、南北に四〇〇メートルと細長く、東西の幅は一五〇メートルくらいである。北は府道の西側の台地上にあって細井新池にまで達し、南は府道の両側にまたがっていて台地の下にある。したがって厳密にいえば、北地点と南地点で立地が異なることになるが、採集した遺物からすると両者の間にあまり相違はない。表面採集の遺物には石器・サヌカイト片のほか、弥生式土器片と瓦片が多く、須恵器片も数片含まれているが、縄文土器とみられるものはない。弥生式土器片は細片で器形を知ることはできないものの、赤褐色ないし茶褐色を呈する色調からすると、弥生中期に属している。したがって、石槍・石鏃の大半は弥生中期のものであると考えられるが、石匙と凹基式無茎石鏃の一部は縄文時代にさかのぼる可能性をもつと推測できる特徴がある。