この中、A地点は中世墓地で瓦質土器を出土し、C地点では平面が円形と方形からなる竪穴住居址の遺存を確かめ、手焙形の完形土器を発見した(150)。ただし円形と方形住居址の時期的な前後関係は確かめるに至らなかったという。E地点でも円形二、方形一の平面をもつ遺構があり、F地点では径八~一〇メートルの円形住居址と手焙形土器の破片を検出した。H地点では円形の二住居址があり、砂岩製の小型、携帯用の砥石が出土して、使用した形跡が認められた。またI地点には溝状遺構があるなど、広い範囲にわたって住居を主とするとみられる竪穴の分布が判明したのである。
弥生式土器は壺・甕・高杯・手焙形・鉢(有孔鉢)など多様な器形にわたっているが、サヌカイト片の散布は少量で、石器とみるべきものは一片しかないという。泉本氏らはこれらの土器を畿内第Ⅴ様式後半に属するものとみて、庄内式併行のものまで下るかと考えている。一方、佐備神社西南方のJ地点からは奈良前期から平安後期にわたる新しい土器片が出土し、同心円叩文をもつ塼片が存在した。
滝谷遺跡からは、弥生第Ⅴ様式に属する壺の口頸部片二点、底部片一点が採集されている(151)。
壺はともに、やや外傾気味に直立する頸部に、外反する口縁部で、口縁端部は下方へ拡張して面をもつ。(151・1)は口頸部のみ残存で、口径二二・五センチ、残存器高一二・五センチをはかる。(151・2)は口頸部と肩部が残存しており、口径一七・五センチ、残存器高一二・二センチをはかる。後者の壺は、粘土紐接合痕が口縁端部、頸部、肩部に残り、また、指頭圧痕も明瞭に残る。調整は、口縁部の内外面にヨコナデを施し、端面に浅い凹面をつくる。頸部外面は縦方向のヘラミガキ、内面には斜め方向の刷毛目と一部ヘラミガキを施す。底部片(151・3)は上げ底の突出した底部をもち、底径四センチ、残存器高四・六センチをはかる。これらの別に採集した弥生式土器については、以上観察してきた壺の形態からみて、弥生第Ⅴ様式の中でも前半に属すると思われる。