しかし『古事記』や『日本書紀』そのものの記述が、はたしてどれほど歴史的事実を反映しているかを、現在の段階では検討しなければならない。日本列島における前方後円墳の成立と広い分布は、東アジアの古代社会の一地域に生じた特異な墓制の結果にほかならない。その社会的な意義は世界史の発展段階に共通して認められる人間集団の組織化された姿をあらわすものといえるからである。世界各地の民族集団が文化的に発展するとともに、社会的な組織圏を拡大しつつ統合し、それを支配する首長の権威の象徴として、それぞれ特色をもつ王墓を営んだ。いい方をかえると成立した王権の性格と個性を明らかにする手段は、相互の墓制の相違を比較検討するところから始まると考えてもよい。