玉手山古墳群の中で内部構造の判明している古墳は一〇基に達し、このうち主体部の施設として竪穴式石室を構築していたのは八基あり、粘土槨例は二基にすぎず、前者の竪穴式石室のグループには、同一墳丘の後円部の一角や前方部に粘土槨を営んだものが四基もある。すなわち第4号墳は粘土槨一施設にすぎなかったのに対し、第5号墳では後円部の中央に内法の長さ六メートル、幅一メートルの竪穴式石室を設け、その西側に平行して粘土槨があり、前方部にも墳丘の長軸線上に一列に並んで二個の粘土槨があった(160)。第6号墳の場合には後円部の中央と東側に二室の竪穴式石室を配置し、第9号墳では後円部に竪穴式石室一室を、第10号墳(北玉山古墳)からは後円部に竪穴式石室一室と、のちに、西名阪道路の開通工事に先立っての調査で前方部から粘土槨一個を発見した。また第11号墳は後円部に粘土槨、第12号墳(狐塚)は後円部に竪穴式石室の残骸があり、前方部からも粘土槨を検出した。最も南の端に位置する第13号墳(駒ケ谷宮山古墳)からは、後円部に竪穴式石室一室と、前方部に第5号墳と同様の配列の長軸線上に一列に並ぶ二個の粘土槨を調査することができた。