真名井古墳の構造と遺物

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真名井古墳は同神社の社殿から南方に三〇〇メートル離れた標高九三・三メートルの丘陵突端にあり、前方部を西に向けた前方後円墳で、全長六〇メートル、後円部の直径四〇メートル、同高さ五メートル、前方部の幅二〇メートル、同高さ一メートルという、前期古墳としては中型の大きさを有していた(169)。一九六一年に発掘調査をしたところ、後円部の中央に墳丘の長軸と平行して、長さ五・七五メートルの細長い粘土槨が営まれ、幅は最も広いところで一・一メートルあった。この槨内にはすでに朽失していたが、長さ五・三メートル、高さ約一メートル、幅〇・五メートルの箱形に近い組合式の木棺をおさめていたことを推測しえた。

169 西南方からみた調査前の真名井古墳全景、中央白色の丘陵上部が後円部、左方が前方部

 棺内の中央部分は盗掘されていて平縁の銅鏡破片と管玉二個しか検出できなかったが、遺体を埋葬した脚端にあたるとみられる西寄りには一個の土師質甕形土器を副葬していたのを発見した(168)。ところが棺外の東端に接して三角縁神獣鏡一面、鉄製の刀子三、斧二、鉇三、錐一などの遺物が粘土槨内に封じられた状況で存在し、槨の南側に沿ってあたかも貼り付けたように、碧玉製紡錘車三個と刀身状利器二本、鉄鏃一四本を配置していた。

168 真名井古墳の粘土槨・棺内西端に置かれていた土師質甕形土器

 このように真名井古墳は一部盗掘をうけていたとはいえ、各種の品目にわたる副葬品を出土した点で注目すべきもので、とりわけその中に含まれた三角縁神獣鏡は様々の問題を考えさせる。碧玉製紡錘車は前期古墳の石製品の一種で、中央に小円孔をもつ円盤形をなすところから、糸を紡ぐ回転輪に似た形状としてこの名があるが、本来は銅鏡の類を模倣した非実用的な宝器として丹念に加工された遺物である。また三角縁神獣鏡とともに副葬されていた鉄器の中には、短冊形鉄斧と称する扁平な鉄斧があって、長さ二九・六センチ、幅七・六センチ、厚さ二センチ、重量一七二〇グラムの大きさを持つ点で、この種遺物としては日本で出土した最も大型の部類に属するものといえよう。前述した鍋塚古墳の遺物と比較して、同じ前期古墳の副葬品とはいえ著しい相違をもち、古墳の築造時期と被葬者の性格が異なっていることを推測させる点を指摘しておこう。それでは鍋塚古墳と真名井古墳とをめぐる環境はどうであろうか。