両古墳の位置がわずかに五〇〇メートル程度しか離れていないことにあわせて、その間にはさまれた美具久留御魂神社の社殿背後の境内地に、まだ内部構造や副葬品は全くわからないが、墳形の特徴と埴輪の形状からみて、おそらく前期の前方後円墳と考えられるもう一基の古墳がある。これら三基の前期の古墳が、南北方向に派生した丘陵の一支脈上に近接して営まれているのは、石川谷流域の前期古墳分布の様相として珍しい現象といわねばならない。その理由はおそらくこの美具久留御魂神社を中心とする地域に一つの統合された集団があって、それを統括した首長が前期古墳の時期に、次々と自らの墳墓を築いていった結果であろう。内部構造と副葬品を比較してみた場合に、真名井古墳が鍋塚古墳よりやや古いという相対的関係に位置づけることによって明確に編年できるので、境内地内の前方後円墳の内容が不明であるとはいえ、かなり長期にわたって地方支配の権力を維持した組織があったことを物語っていると考えられるからである。それはどの程度の権力規模をもった首長であろうか。このためには引き続いて南部市域に位置する古墳を見ていかねばならない。