付近の古墳群

221 ~ 222

この丸山古墳から南南西に約二〇〇メートル離れて小円墳がある。いま板持4号墳と称しているが、正法寺のすぐ南側にあたる丘陵の尾根の突端に位置している。墓地に接し、もとは東西両側に溜池があった(173)。どの時期に属する古墳かは不明である。丸山古墳から南西に四五〇メートル離れて板持古墳と称する前方後円墳があった。丘陵の尾根の南端に前方部を南に向けて営まれたもので、全長四〇メートルに満たぬ小規模な古墳であった。市立第三中学校運動場のすぐ北に接する住宅地の部分で、現在では宅地造成のため消滅してしまった。破壊される以前に墳頂部付近から家形と草摺形かと思われる形象埴輪の破片を採集した(174・175)。このうち家形は長さ一〇・七センチ、幅八・四センチで、左右の側縁は原形をたもち、中央に縦に幅四センチの低い突帯があり、柱と側壁を表現したものかと推測する。一方の草摺は幅二〇センチ、高さ一一センチの厚手の破片で、タテ刷毛目を施した上に九本の横線が等間隔に刻まれていて、全体に軽く弯曲している。いずれも裏面は無文である。赤褐色の焼成で砂粒の含有が多く、粗面を呈している。この板持古墳も丸山古墳と同様に、事前の調査で内部構造を明らかにできなかったため内容は不明であるが、出土した形象埴輪片からみると古墳中期前半か前期の時期に属する古墳であった可能性が強い。板持古墳のすぐ南側に直径一五メートルの低い円墳があった。これも調査を実施しないうちに破壊消滅した。埋め立てられてなくなったが、これらの古墳の東側にはおかめ池という灌漑用水池があった。

173 板持丘陵上に分布していた古墳、A・板持4号墳 B・板持古墳 C・2号墳 D・3号墳  (1:15000)
174 板持古墳採集の形象埴輪破片 上・家形埴輪柱部分? 下・草摺?
175 板持古墳採集の形象埴輪破片拓本 上 家形埴輪柱部分? 下 草摺?