3号墳の構造と遺物

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さて第三中学校の南に接する日生富田林ニュータウンと称した住宅地の北部に、もと板持2号墳、同3号墳の二古墳があった。造成前の丘陵地形については遺跡各説で述べることにするが、南北に続く丘陵がこの付近では急に幅が狭くなって、尾根上の隆起地形を利用して古墳が営まれていた。この中で北側のやや低いところに位置していたのが2号墳で、円墳の外形をもち、発掘調査の結果木棺を直葬し須恵器などを副葬した後期の古墳と判明した。これに対し3号墳は珍しいことに前方後方墳の外形をもち、全長約四〇メートル、後方部の長さ約二五メートル、同高さ四メートル、前方部の幅約一五メートル、同高さ二・五メートルの規模を有していた。内部構造は長方形の墓壙の中に粘土で薄く粘土槨状に包んだ木棺を埋納し、仿製の重圏文鏡と銅鉄などの遺物を副葬してあった。ところが墳丘には埴輪や葺石が全く認められなかったので、前期的要素を濃厚に持つとはいいながら、前記の板持丸山古墳や板持古墳とはやや異なった傾向が感じられる。