板持の丘陵上に分布する丸山古墳の規模が直径三五メートル、高さ四メートルの円墳に属し、南端の3号墳は全長約四〇メートルの前方後円墳という内容からみると、すでに述べた真名井古墳や廿山古墳などの前方後円墳と比較して、規模もやや小さい。いいかえると石川西岸の丘陵上に分布する古墳の中には規模の大きな前期古墳が認められるのに対し、石川東岸の丘陵上にあるものはひとまわり劣ることが指摘できる。東西両岸のこれらの古墳は、それぞれ異なった地域集団に属するものであったとする前提に立つと、それぞれの地域の被葬者の財力と権威の社会的評価が古墳を通してできるわけである。丸山古墳出土の仿製三神三獣半円方形帯神獣鏡や板持3号墳出土の仿製重圏文鏡を、真名井古墳出土の三角縁三神三獣獣帯鏡と比較してみると、それぞれの被葬者の地位を、時期の前後は別にして古墳の規模に比例して評価することが可能であろう。