この後半の推移を示すのが板持3号墳といえる。前方後方墳は前方後円墳に比べるとはるかに数が少なく、前方後円の墳形に対してどのような別の意味をもって営まれたものかよくわからない。しかしその分布は全国にわたっていて、時期も前期から後期初頭までの前方後円墳の消長とあまり差のない期間継続した。地域的に顕著に見られるのは鳥取県から島根県にかけての山陰地方であるが、大阪府下でも北方から高槻市弁天山D2号墳、交野市寺所在墳、柏原市安堂古墳(177)、羽曳野市青山4号墳、太子町九流谷古墳などいくつかの古墳が、金剛・生駒山地に沿う東半部の地帯に点々と分布していて、市内の北端に位置する平1号墳もこの墳形に含めることができる。平1号墳は須恵器を出土した後期前半の古墳である。大半が内部構造としては簡単な墓壙をもつ木棺直葬墓である。