三角緑神獣鏡の謎

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ところが、このように魏晋代の中国鏡と推定された三角縁神獣鏡は、日本から多数出土しているにも拘らず、不思議なことに中国本土ではまだ一面も発見されたことがない。中国で未発見という事実は、すでに梅原氏が上記の研究報告中で三神三獣獣帯鏡を解説して、文様の鮮明さから中国鏡としながらも「未だその発見の遺品を知らず」と指摘している。以来六〇年を経過し、ことに後半の三〇年間は新中国になって各地で広く発掘調査が行なわれた結果、おびただしい銅鏡の出土をみているものの、同種の遺例は全く存在していない。従来の解釈としては、銘文をもち精緻な図文を備えた鏡は中国から船に積んで輸入された鏡―舶載鏡として、日本国内で模倣して鋳造した鏡―仿製鏡と区別してきた。

 魏代の中国鏡と推測した根拠は、まず柏原市国分の茶臼山古墳などから出土した有名な「銅出徐州師出洛陽」の銘文から導き出され(189)、のちに「(正)始元年」や「景初三年」など、中国北部の魏国の年号をもつ三角縁神獣鏡の発見も加わって、一時は定説化した観さえ与えた。しかし近年になってこれらの年号の判読に疑いを抱き、あるいは一連の銘文の解釈に異説を唱えるとともに、銘文を有する鏡といえども、はたして中国系の鋳鏡工人の手になるものかどうかという根本的な疑問も出されるようになった。舶載鏡と仿製鏡との厳密な区別がつけ難いこの種鏡について、ほとんどの鏡が日本の鋳鏡工房での製作ではないかという見解すら出されている現状である。批判の中には性急な否定の主張に走る余り、一、二の鏡について枝葉末節的な銘文の字句の解釈から当否を論ずるものもあって、三角縁神獣鏡の全体にわたる問題のとらえ方として説得力を欠くものも見受けられる。

189 柏原市国分の茶臼山古墳出土の「銅出徐州師出洛陽」銘三角縁神獣鏡