魏代中国で鋳造されて日本に舶載された経緯にかかわる解釈が「魏志倭人伝」中の魏帝による邪馬台国女王卑弥呼に対する銅鏡一〇〇枚下賜の記事との関係に結びつき、さらにこれらの鏡が、畿内を中心とする前期の前方後円墳の副葬品として集中的に出土するという考古学的事実と対応させてきたのが従来の通説である。これによって邪馬台国の発展すなわち倭国の統合、ひいては大和政権の成立に至る図式を描いてきた事情を考えると、魏からの舶載品かどうかという判断は、日本の古代国家の成立を考える上で重要な意味をもっていることが、おのずから明らかになろう。すなわち三角縁神獣鏡の製作年代と工房の所在地は、たんなる一鏡式の成立をめぐる興味ではなく、はるかに重大な問題を孕んでいるわけである。