梅原末治氏は新山古墳鏡について「神獣の図形整ひ、殊に神像の一の如きは端坐の状見る可きものあり。その獣帯にある十個の図様また比較的正しく表はされ天蝎、双魚、鳳凰、象、龍等形の見るべきものあり。此の点に於いて、多くの模造鏡の原型をなせりとも解せらるるもの、蓋し本邦出土の所謂ゾディアック式獣帯鏡中の優秀品の一なり」と解説して、この鏡が舶載品で日本の同種仿製鏡の原型になったと称してもよいと位置づけたのである。この見解は小林行雄氏の「三角縁神獣鏡の研究」と「仿製三角縁神獣鏡の研究」と題する詳細な検討の中でも、中国鏡として扱われ、近藤喬一氏が「三角縁神獣鏡の仿製について」として考察した際も、「A・B両グループの仿製鏡製作時、原鏡となったもの」として、新山古墳・真名井古墳・芝崎古墳の鏡をあげていて、この鏡を舶載鏡とすることに躊躇していない。筆者もこの真名井古墳の報告を執筆した当時には同一の見解に立ったわけである(藤直幹・井上薫・北野耕平『河内における古墳の調査』一九六二年)。