豊富な鉄器の副葬

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ただ大王陵級の古墳と石川中・上流域の小型古墳とを直ちに比較することは、適当とはいえない。そこで古市古墳群に含まれる小型古墳の内容をみておくことにしよう。応神天皇陵の西側に一辺の長さ四五メートル、高さ四・五メートルの方墳があって、アリ山古墳と称した。一九六一年にこの古墳を発掘した結果、実に刀剣八五本、鉄鏃一六〇〇本以上、鎌二〇一個、斧一三四個のほか、鍬、蕨手刀子(わらびでとうす)など各種鉄器がおびただしく出土した。北施設の実測図(210・211)で明らかなように、長さ約三メートル、幅約一・四メートルの長方形の範囲にわたって、これらの鉄器はぎっしりと配列され、三層に重なっていた。すなわち最上層には五〇本内外を束ねて一群とした鉄鏃が総数三二群、中層には刀剣群、下層には鎌・斧・鍬・刀子から鋸にいたるまでを積み重ね、あたかも鉄製武器と鉄製農具、工具類の一括収納車を移してきたかのような感を与える副葬施設であった。

210 藤井寺市野中アリ山古墳北施設の鉄鏃と刀剣類出土状態実測図
211 藤井寺市野中アリ山古墳北施設の鎌・斧・鍬・刀子・鋸出土状態実測図

 同様な鉄器の大量副葬は墓山古墳の東北に近接して、陪塚的位置を占めていた野中古墳でも認められた。古墳は小型の方墳で一辺の長さ二八メートル、高さ四・五メートルあり、主体部は細長い木棺様の木箱を五列に広く並べた施設があった。この中には鉄製眉庇付胄や革製衝角付胄が短甲とともにセットとなって一一組あり、刀剣一六九本、鉄鏃七四〇本をはじめとする莫大な鉄器を埋納し、総重量は約五〇〇キロをこえるものと推定した。