これらの例は古市古墳群を構成する中期古墳の中には、小型の場合でも鉄器の副葬に関して、他に類をみない豊富さを有することを示すものである。鉄製武器はいうまでもなく、鉄製の農具・工具にいたるまで、鋭利さと卓越した機能とで社会活動に大きな役割をはたす特色をもっていたと考えると、鉄器の量的な豊富さは古墳の質の相違を表していたといわねばならない。すなわち古墳中期の社会で、古市古墳群の被葬者たちが占めた権力機構の強固さと集中性を裏づける遺物であろう。鉄器の材料となった鉄鉱石や砂鉄の鉄資源が、はたして日本列島内で採取され精錬されたものであるのか、それとも『日本書紀』神功皇后紀に記載の説話が伝えるように、朝鮮半島から海路供給されたのかという重要な問題は、まだ解決されていない。しかし現実に莫大な鉄器を、古墳の副葬品として埋納した行為の背景には、その消耗を補ってあまりある鉄器の充分な蓄積があった畿内政権の倭の大王たちの存在を認めないわけにはいかない。