金属製品の渡来と馬具

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さらにこの古墳群の副葬品がたんに日本列島だけでなく、大陸の文物とも新しい要素で結びついている例をあげよう。応神天皇陵の前方部正面に周濠をへだてて丸山古墳がある。直径四五メートル、高さ六メートルの円墳にすぎないが、一八四八年に短甲その他の鉄製遺物とともに、金色の鮮やかな馬具が出土し、現在誉田八幡宮の社宝として国宝にも指定されている。馬具は二個分の鞍金具と轡金具や付属具などで、木質部や革紐は朽失し去っているが、銅板に金メッキした金銅金具はよく残っている。鞍は前後の鞍橋(くらぼね)という側面に金銅板を打ちつけていて、透かし彫りにした精緻な竜文を複雑に組み合わせた華麗な文様で飾っている(212)。竜文の図柄といい、金銅板を透かし彫りした技法といい、斬新な文化要素が日本に初めてもたらされたことを証明する大陸系の優品であったのである。付近の同時期に築造された鞍塚古墳からも、全く同一系統の馬具を出土している事実とあわせ考えると、馬具を用いた騎乗の習俗がこの段階になって一般化したと認められる。馬形埴輪が墳丘に樹立されるのも古墳中期からである。

212 丸山古墳出土の金銅竜文透かし彫り鞍金具(国宝・誉田八幡宮蔵)

 これらの諸事実にもとづけば古市古墳群を形成した大王陵の内容はまだ不明であるとはいえ、相前後する時期に営まれた周辺の小型古墳の内容において、すでに古墳時代最盛期の社会が、いかに政治的なものであり、権力構造的な性格を帯びていたかを我われに想像させる。東アジア世界との交流を物語る遺物の存在も、その政権が国際的交流の機会をもっていたことを示すものであろう。