これらの石棺は惜しいことに、すでに過去に棺側の前面に穿った盗掘孔によって内部が撹乱されていて、ほとんど見るべき遺物がなかった。報告書によると装身具・利器・馬具・容器などの種別をもって、ガラス玉一個、銀鐶二個、金銅製金具数片、鉄製革帯金具三片、鉄刀片二口分、鉄刀子一口、鉄鏃十数本、鉄製鉸具七片、用途不明の鉄製品二、土師杯二個、須恵器の高杯と壺の破片などが採集されているにすぎない。
後期の家形石棺の発見例、とくに金山古墳のように現存していて実際に見ることのできる例は、石川谷の中では意外に少なくて二、三例にすぎない。面白いことにつぎの終末期になると家形や、やや異形の石棺の発見例は逆にぐっと増加する。その理由は後期には石棺が石室の中に置かれるため、後世の盗掘で破壊されやすいのに対して、終末期では直接土中に埋没する場合が多いことも一因かもしれない。後期古墳の代表的な石棺としてあげられる家形石棺が、石川谷では金山古墳を除いて完存する好例がないのは残念である。