市内の後期古墳の中で家形石棺を蔵していたのは、伏見堂の田中古墳群の第2号墳ぐらいしかない。いま市立第二中学校の校庭に保存されている資料で、折損した棺蓋の半分である(考古三三―(1))。この石棺を出土した古墳や出土遺物については次節で扱うが、棺蓋の幅一・二二メートル、高さ〇・四六メートルと小さく、棺身の大きさもわからない(221)。ただ市内の終末期古墳に属するお亀石古墳の家形石棺は、金山古墳例よりも大きく、長さ二・六六メートル、幅一・七四メートル、全体の高さ一・六四メートルもあって、この点からも非常に注目しなければならぬ資料であることを示している。お亀石古墳については次節で詳述することにしよう。